いっても無駄なことが明らかなイメージなのです

最近、テレビでお年寄りを金銭的な被害にあったという残念なニュースが流れています。そこで、思うのは、お年寄りではなくても、身近なところで、これって、どうなのと思う事があるのです。

例えば、必要になって洋服を買いに行ったのです。デザインもそうはないので、しかも、そこまでオシャレにするという気持ちもなくなり、着られればいいというたぐいのレベルで出かけたのです。

それでも、お店の方に伺わなくてはいけないこと、つまりサイズの問題とお直しの問題が有り、お店の方に対応していただくことにしたのです。そこで、たまたま、二十代前半の女性が付いてくださいました。決して、ブスでも美しくもない、どちらかというとちゃら系の肩のような気がします。

お洋服は安くもないので、サイズを二つ試さしてみようと思いました。さらに、デザインも二つくらいは念頭においています。十分ぐらいは、考えました。

すると、後から着たご家族の二十代の息子さんを連れて、スーツを選び出したのです。そこで、また、お店の別の方が対応につきました。決して、混み合うようなお店ではないのです。ただし、サイズというのがあるので、お店の人が対応することが多い接客スタイルです。

試着室に行き、サイズを迷って、いると、そのお店の方は、直ぐに前のものをしまってしまうのです。つまり、接客について知らないのです。人は、一度、試着すればわかると、自己本位の考えで対応しているのでしょう。私などは、結構迷うのです。普段着でもなかったので、という理由です。普段着であれば、お店の方に相談することもないのですが。

すると、三十代ぐらいのサラリーマンが来て、対応しているお店の人に話しかけたのです。お店の人もほかの人を呼びません。こちらは試着室で、待たされるのです。イラっとしましたね。ただし、そのお店の人にいったところで通じることはないのです。のれんに腕押し。そこで、サラリーマンに忖度白的なサインを送ったのです。

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